仏教とお墓3
前回、蘇我氏や聖徳太子らの手によって、鎮護国家の道具として、仏教が国に公認されたことまでお話しました。
仏教では僧が出家することがあります。中国では、この出家という行為が、当時の「家」という制度を破壊してしまったり、中国在来の「儒教」の教えと相容れないこともあって、仏教は迫害されたりしました。
しかし、日本では「僧尼令」などの法律を作り、僧を官僚組織の中に組み込んでいくことで、うまく仏教を取り入れていきました。こうして仏教は国に浸透していきました。たとえば聖武天皇(701-756)などは仏教に深く帰依して、在位中疫病が流行した時にはあちこちに国分寺を建立したり、天皇でありながら譲位して出家したり、出家後自らを「三宝の奴」と称したりしました。なんといっても、国分寺のひとつである奈良東大寺に大仏を造立したりしました。
そんな奈良時代の仏教といえば南都六宗と呼ばれる6つの宗派が隆盛を極めました。三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、律宗、華厳宗と言われるものです。ただし、これらは「宗教」というより「学問」でありました。彼らは、国家の庇護の中で仏教の教理の研究を行なうことが目的となっていて、彼らが行なう宗教らしい行為といえば、鎮護国家の理念のもとで呪術的な祈祷を行なうくらいのものでした。
そうやって仏教が定着し始めてくると、もともと日本で信仰されていた神々との融和を唱える人たちが現れました。日本の神々は仏の化身したものであると言い出したのです。これが本地垂迹説というものです。日本古来のひとつひとつの神様に仏教の仏様をうまく当てはめていきました。日本人は外国のものをうまく自分たちのものにしていくのが得意だったのかもしれませんね。
2014年11月18日
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