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カクレキリシタン

江戸時代に幕府の弾圧を受けてキリスト教信仰を封じられた人たちの中で、仏教信仰を擬装しながらひそかにキリスト教信仰をつづけていったのが隠れキリシタンと言われた人たちでした。もちろん、弾圧の中で信仰が続かず改宗した人たちも多かったそうなのですが、江戸時代200年以上守り抜いた人たちもいるのだそうです。先祖から子孫へと何代も受け継いできたということになります。執念ともいうべきことです。
ところで、彼らもお墓をキリスト教式にしたかったのでしょうが、そんなことをするとみつかってしまいます。そこで、さまざまな方法でキリスト教徒であった証を自分たちのお墓に残していきました。例えば、漢数字の「十」を石に刻んでクルス(十字架)に見立てたり、簡易な人物像を彫刻しマリア様に見立てたりしていたそうですよ。
そんな彼らですが、明治になってキリスト教の信仰が自由になったあと、みんな堂々とカトリック教会に行くようになったかといえばそうでもなかったようです。もう隠れる必要はないはずなのに、今までやってきた秘教形態を崩さず、自分たちがやってきたやり方を変えず、教会などにも行かない人たちもいたのだそうです。その理由は、先祖が守ってきたやり方を守らねば罰を受けるかもしれないだとか、仏教・神道で擬装してきたがいつの間にか仏教・神道に違和感がなくなってしまっただとか、親がやってきたことが正しいと思っているだとかがあるそうです。長年の間教会や神父なしで信仰しているうちにキリスト教の教義が薄れていき、当時の仏教・神道・民俗信仰などが混ざってオリジナルの宗教のようなものになったのかもしれません。
なお、そういった人たちは大正~昭和30年頃で2~3万人いたと言われていて、その人たちを学術上は「カクレキリシタン」とカナ書きするのだそうです。今でもまだ、長崎県あたりには「カクレキリシタン」と呼ばれる人たちがわずかながらいるのだそうですよ。

2013年8月6日

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