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お知らせ

伏見桃山陵

今日は明治天皇が崩御された日です。崩御されてから101年が経ちます。

明治天皇は第122代の天皇で、前天皇の孝明天皇が急死されたために満14歳で天皇の位を受け継ぎ、翌年即位されました。即位後、戊辰戦争を経て、首都が京都から東京になったので東京へ移られました。その後日本が近代化していく中で、軍人勅諭にて軍隊の最高統帥者となり、大日本帝国憲法の制定、帝国議会の開設、日清戦争、日露戦争など激動の時代を過ごしてこられました。
常に自分を律し質素な生活に努めてきた方だそうで、どんなに寒い日でも暖房は火鉢ひとつだったのだそうです。刀剣が好きであちこちから名剣の献上があり、常に名刀を携えていたのだそうです。また、写真が嫌いで、今残っているご真影は、実は肖像画を撮影したものなのだそうです。
1912年7月に持病が悪化し満59歳で崩御されました。2ヵ月後大喪が東京で執り行なわれ(火葬にはされなかったのだそうです)、棺は京都の南郊の伏見桃山というところへ運ばれ、そこに埋葬されました。陵を伏見桃山にしたのは天皇の遺言によるものなのだそうで、生前その地を気に入っておられたからなのだそうです。なお、そこは、その昔豊臣秀吉が築いた伏見城の本丸跡地だそうです。
伏見桃山陵は、天智天皇陵をモデルにしたと言われており、下側は一辺が60mの方形で、上は高さ6.3mの円形にした上円下方墳です。皇后であった昭憲皇太后の御陵が東側に隣接し、桓武天皇陵も近くにあります。
陵は城の跡地だっただけに小高い岡の上にあり、200段以上ある急な階段を登らないといけないのだそうですよ。

お近くに行かれた際は、見に行かれてはいかがでしょうか?

2013年7月30日

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