湯の花(いのはな)トンネル2
この時代は戦局が悪化していたせいかどんどん男性が兵役にとられ、出征する男性の代わりに、車掌の仕事に駅務員の女性が回されたりしていました。この列車の車掌もそんな一人で、18歳の女性だったそうです。その当時は空襲警報が毎日のように鳴っていたので、毎日おびえながら車掌の任務を行なっていたそうです。米軍機に襲われたときは、銃撃のあいだ中通路に伏せていて、銃撃が終わった後、機関士がどうなっているか確認するため先頭車両に向かったそうです。各車両の通路で目にしたのは、血まみれで折り重なって倒れている人たちや助けを求める人たちでした。でも本人もパニックになっていて何もできなかったのだそうです。
彼女はこのことを事故報告書にまとめ会社(国鉄)に報告しましたが、後日になっても軍や国鉄から事情を聞かれることは一切なかったのだそうです。(終戦後彼女は国鉄を退社しました)
その場で亡くなった49名は翌日現場近くで荼毘にふされました。当時の警視庁の資料によると死者52名負傷者133名となっているそうなのですが、八王子の郷土資料を調べた人によると、搬送先で亡くなった人も含めると65名以上の方がこの事件で亡くなっているのだそうです。
戦時下では報道管制などが布かれていて、情報が正しくなかったり隠されたりすることがよくあったそうで、当時実際に正確に把握されているものはなかったのではないでしょうか。
次回に続く
2014年8月12日
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