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大樹寺16

前回のお話の通り「法然上人二十五霊場」は江戸時代の1762年に制定されたものです。
しかし、車も電車もバスもない時代に、京都を中心とした諸国にわたる「法然上人二十五霊場」の各霊場を巡拝することはとても大変なことだったと思われます。

そこで各地方に「写し霊場」というものがつくられたのだそうです。これは、上記二十五霊場にある「お砂」を自分たちの近くの寺などに移して、それを本霊場とみなして巡拝することによって、遠くに行かずとも二十五霊場を巡拝することができるというものなんだそうです。江戸時代には各地につくられたのだそうです。
しかし、交通機関が発達した現代では「本場」に行くことが容易になり、それに伴い「写し霊場」の需要は少なくなり、現存しているところは少なくなってしまっているのだそうです。その、残り少ないうちのひとつがこの「法然上人三河二十五霊場」ということになります。

この「法然上人三河二十五霊場」の起源は、旧幡豆郡(今の西尾市ほか)の巡礼が江戸時代末期(1850年代頃)に巡拝した「准西国廿五霊場」だろうといわれています。西尾市から一色町を経て西尾市に戻ってくる右回りのルートに霊場を置いたのだそうです。
しかし、これはそれほど隆盛しなかったようです。

続く

2017年8月25日

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