
大樹寺9
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9代家康(その2)
今川家の人質になっていた竹千代ですが、お墓参りなどで実家の岡崎城に戻っても本丸には入れてもらえず、二の丸で過ごしていたそうです。
12歳になって今川家のもとで元服し、名を元信と改め(その後元康)、妻を娶りました。15歳で初陣に出て戦功がありました。
そして、17歳のときに桶狭間の戦いが起きます。このとき今川方の先鋒に任命されていた元康は、織田方が包囲していた大高城に兵糧を入れることに成功しました。そのあと、今川義元が織田信長に討ち取られたことを、大高城にいる際に聞いた元康は大高城から撤退、松平家の菩提寺であるこの大樹寺に入りました。追っ手に追い詰められていた元康は、大樹寺に祀られている松平家8代のお墓の前でで自害をしようとしました。しかし、住職の登誉天室に諭されて考えを改めたのだそうです。そして少ない手兵と寺僧を率いて追っ手を退散させることに成功したのだそうです。その後、岡崎城に入り独自の軍事行動をとり、今川家からの独立を果たそうとしました。そして松平家は岡崎城を主城とした独立した大名になったということです。
自害しようとした際に、大樹寺の住職登誉天室が元康に教えた言葉があります。それは「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」というものです。浄土宗の言葉で、源信の「往生要集」に出てくる言葉なのだそうですが、「戦国の世はみんな自分の欲望のために戦っているため国土が穢れきっている。そんな穢土を厭い離れて、永遠に平和な浄土を願い求めれば、必ず仏の加護を得られて大事を成すことができるだろう」という意味です。だから元康は、「ここは生き延びて、いずれ天下を平定して、平和な世を築こう」と決意したのではないでしょうか。
その後の徳川家の馬の旗印には、この「厭離穢土 欣求浄土」が掲げられるようになり、このスローガンは戦争に出る徳川家の侍たちのモチベーションになっていたのだと思います。
まさに、大樹寺の13代住職登誉天室のおかげであったと言えましょう。
2017年7月21日
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