大樹寺7
8代広忠(つづき)
【8代広忠2】
岡崎城を回復した広忠でしたが、それは三河の東方駿河の国の今川家の手助けがなければ叶わなかったことでした。当時三河の西方には尾張の国の織田家が勢力を拡大しており、今川家にとって織田家は脅威だったので、三河の松平家に盾になってもらおうと考えていたのかもしれません。そのためには、松平家の家政が乱れていると織田家に付け入られやすくなるので、なんとか松平家に結束してもらいたかったのではないでしょうか。そう考えるとこの肩入れも納得できます。
しかし、案の定織田家が三河に侵入してきます。岡崎城の攻略を目標に、まずは安祥に攻め入りました。安祥を落とし、矢作川を渡河してきました。松平家だけでは防ぎきれないので今川家が大軍を三河の地に入れてきました。そこで織田家と戦闘になります。世に「小豆坂の戦い」といわれている戦いです。当初織田家が優勢でしたが、結局今川・松平連合軍が撃退しました。もっとも、織田家は安祥を手に入れることができているので織田方の勝利と言い、今川方は撃退したので今川方の勝利といい、どっちが勝ったのかは資料によって異なっています。
結局広忠は、小豆坂の戦いの1年後、23歳の若さでこの世を去りました。広忠亡き後、今川家は織田家の侵攻に備えて、岡崎城には今川家の代官を置くことにし、広忠の嫡子で跡継ぎの竹千代(のちの家康)を駿河の地で預ることにしました。実質上の人質で、松平家は今川家の完全な保護下に入ったということになります。
2017年7月14日
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