
金沢城2
尾山御坊は1546年に作られました。大阪本願寺の別院のようなものであったようです。本願寺の北陸における拠点となり、仏事・教化を行なう指導者が派遣され、北陸への一向宗の普及を行ないました。
しかし、実はそれだけでなく、尾山御坊は石垣をめぐらせ堀をうがち、寺というより城のように作られました。軍事指導者も大阪から派遣されました。それは、以前から敵対していた上杉家との争いや、織田家の侵攻に対抗するためのものでした。
一向宗の北陸への布教は当初から数えて結局100年近く続きましたが、最期は織田家の侵攻によって潰えました。この際、拠点となっていた尾山御坊も織田軍に攻略され、織田家は佐久間盛政を代官として尾山御坊に入れました。
佐久間盛政は戦争で壊れた部分を補修し、城として機能できるようにまでにしました。この際、城の名前を金沢城と名付けました。
金沢城の誕生です。1580年のことです。
2016年5月10日
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