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金沢城1

その昔、戦国時代、加賀(石川県)は富樫氏という豪族が国を治めていましたが、当時勢力を拡大していた一向宗(本願寺、今の浄土真宗)に主権を奪われてしまいます。
その後、加賀は一向宗の門徒を中心とした、村の合議制で国を運営していくことになります。
この一向一揆は各地に広がり、隣国の越前(福井県)でも一向一揆が起こります。ところが一揆を起こした越前の一向宗寺院は越前の国主朝倉氏に破れてしまいます。越前を追い出された越前の一向宗寺院は加賀に逃げ込み、加賀の一向宗寺院と合流しました。
しかし、この両者は折り合いが悪く、加賀は自治を重視して戦争を好まなかったのに対し、越前は好戦派で越前国の奪還を目指し外部に進出することを主張しました。
さらに越前は、本願寺本山と結び(本願寺本山も北陸直接統治の狙いがあったと思われます)戦いの継続を主張したため、ついに両者は武力闘争にまで発展しました。
加賀側も周辺の一揆勢を巻き込み、あろうことか朝倉氏とも共同戦線を張ります。敵の敵は味方というわけです。越前側を大一揆、加賀側を小一揆とも言います。
いくつかの戦いの末、越前側の大一揆勢が勝利します。この戦いで北陸における本願寺の力が増し、本願寺本山から代官が派遣され国を治めていくことになりました。

本願寺により、この統治のための拠点が加賀に築かれました。それが尾山御坊というものでした。

2016年5月3日

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