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吉見百穴3

この古墳は、江戸時代の中ごろには地元では「不思議な穴」として知られていました。しかし、明治時代に弥生式土器の発見者でもある東京大学の大学生坪井正五郎が、大学院の卒業論文のために発掘調査をし、さらに詳しいことがわかるようになりました。もちろん大学院生の力ではそのような発掘調査をするのは困難でした。地元の有力者根岸家がその発掘を支援しました。

この発掘調査の結果、坪井は次のように発表しました。
「この横穴は、住居用の設備・構造をしているが、日本人の住居としては小さすぎるので、先住民族コロボックルの住居である。その後、いくつかの穴が古墳時代に葬穴用として再利用された。」
コロボックルというのはアイヌの伝説に出てくるこびとのことで、アイヌたちの間ではアイヌの先住民としてこの日本に住んでいたことになっています。

しかし、弥生式土器の共同発見者だった学者の白井光太郎が匿名で学会誌に反論をしました。
白井は「この横穴は住居と断定できるほどの証拠がないし、コロボックル自体存在していたという証拠がない。構造は他の古墳の石室と同じ特徴がある。だからこの横穴は最初から墓として作られたものである」

この「住居か墓か」という論争は、他の人も加わりしばらくの間続いていましたが、その間考古学が発達したことと坪井が死去したことでコロボックル住居説は衰退してしまいました。
今では集合墳墓が定説になっています。

2015年6月23日

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