彼岸会2
前回からの続きです。
ところがその後、桓武天皇のお妃をはじめ、家族親族が次々と不可解な死をとげます。町には疫病も流行り、ついには息子まで疫病にかかってしまいます。実際には、遷都したばかりで都市づくりができておらず疫病が流行りやすかったのかもしれませんが、天皇は占いをさせました。それによると早良親王の怨霊だということが分かりました。当時は占いが大変重視されていましたから、桓武天皇は伊勢神宮に祈祷に行ったり、早良親王に「崇道天皇」という名を追称したり(死後に天皇にしたというわけです)しました。しかし、一番の決断は、遷都したばかりの長岡京を捨て平安京に移ることにしたことです。794年のことでした。結局長岡京に首都があったのはわずか10年でした。(そして平安京の都は、その時から1000年以上続きました)
その早良親王の霊をなぐさめるため行われたのが、大同元年(806年)三月辛巳 に、諸国国分寺の僧を集めた法要です。中日をはさんで7日間「金剛般若経を読ましむ」と日本後紀には書かれています。その年の秋彼岸にもおこなったそうです。
この怨霊の追善法要を彼岸に行なったことが、彼岸会のはじまりなのかもしれませんね。
2014年4月1日
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