ジョホール州の日本人墓地(4)
ジョホール日本人墓地に建てられている墓石・墓碑の中に「招魂碑」と彫刻された碑と「加餐努力」で始まる銘文が彫刻された碑があります。どちらも、もともとこの墓地にあったわけではありませんでした。滝で有名なコタティンギというところのパーム園近くで発見されたそうで、パームの木々に覆われていて誰にも気づかれずひっそりと建っていたのだそうです。逆に言うと木々に覆われていたおかげで、損傷も少なく彫刻文字もよく読める状態だったのだそうです。発見したのは誰だかよく分かりませんが、発見されたことが載っていた中国語新聞を、ある中国人が、飲食店に偶然居合わせたジョホールの日本人会の方に見せてくれたことがきっかけだったのだそうです。それは1995年のことで、その中国人の案内で日本人会の方々は実物を確認し、そのあとあれこれ調べた結果、日本人墓地に移設することにし、役所の許可などの手続きを経て2001年に移設することができました。
「招魂碑」は、大正2年にマレー半島ジョ ホール王国パンチョールのゴム園へ赴任した岩田善雄さんという24歳の青年とその部下達がゴム園を開発した苦労と業績を讃え、苦労をとも にして亡くなった社員や家族の魂をなぐさめるためのものでした。
また「加餐努力」の方には碑文がありますが、その内容は以下のようなものなのだそうです(ジョホール日本人会HPより)。
『岡本貞烋氏は小田原藩士・慶応義塾の出身で福沢先生の知遇を得て殖産興業に尽くす。また文筆の嗜好あり、ことに書に善く、竹渓と号す。上記題字はその自筆なり。明治43年東京にて同志とともに南洋護謨株式会社を起こし、推されて取締役会長となり、マレー半島ジョホール国Timunで森林を開拓してゴムの木を栽培する。以来忍耐刻苦5星霜、樹木やっと成長して将にこれから収穫に当たるこの時期の昨年9月、62歳を以って逝く。同氏とともに会社を起こした発起人で且つ会社の経営に当たる常 務取締役後藤周蔵、吉田啓、取締役松本留吉ほか2氏、監査役大西正雄他3氏及び現地にいる発起人の一人、後藤吉武他2名が集まり、今後お互いに奮励努力してこの事業の成功を期す。記念のためゴム園の丘にこの碑を建立する。時に大正4年6月貴族議員慶応義塾長鎌田栄吉これに撰し、古橋種臣これを書す。ともに岡本氏の知友なり。
元陸軍大将従二位勲一等功一級子爵 川村景明書』
当時の日本人は開拓者精神が旺盛で、たくましく海外で生きていたのだなと思わせる碑ですね。
2014年3月4日
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