ジョホール州の日本人墓地(3)
ジョホール日本人墓地のお話をしばらくお休みしてました。今日は4回ぶり3つめのお話です。
第2次世界大戦時の陸軍大将に山下奉文という軍人がおりました。彼は高知県の出身で、中学卒業後陸軍学校に進み卒業後は陸軍のエリートでした。義父の関係で皇道派という派に目されていましたので、いわゆる2・26事件が起きた時に、決起した将校たちに理解を示すような行動をとったため天皇の不興をかい、陸軍の主流派のコースからは外れてしまいました。
そのような中、太平洋戦争が起き、彼はマレー作戦の指揮をとることになりました。その勇猛果敢な行動で「マレーの虎」という異名をとり、シンガポールの戦いなどマレー半島の攻略に戦績を残し、国民的英雄になりました。しかし、2・26事件の影響なのか天皇は謁を与えず、東条首相は彼を閑職にしました。
日本の敗色が濃くなった頃、彼はフィリピン防衛戦を指揮することになりましたが、間違った情報をもとに大本営が計画したレイテ島の戦いについては、彼はその作戦に最後まで反対をしましたが指揮をとらされ大敗しました。ひきつづきルソン島でも戦いましたが食糧難におちいりフィリピンで降伏しました。その後軍事裁判で死刑となり、フィリピンで処刑されました。
彼がマレー半島で指揮をとっていたとき、シンガポールに侵攻するためジョホール水道渡河作戦を行ないましたが、その戦いが印象的だったのか激戦だったのか、彼はその戦跡を記念碑に残しました。その碑には「ジョホール水道敵前渡河戦跡記念碑」と刻まれていて、山下奉文本人の署名もあるそうです。
しかし、終戦直前の1945年6月にこの碑は行方不明になります。長い間どこにいったか分からないままでしたが、1982年ジョホ―ル河畔で公園建設中に、2つ折りになっていたところを地中から発見されたのだそうです。碑文は風化していて判読しづらくなっているそうですが(一部には人為的に削り取ったようにも見えるというお話もあるそうです・・・)、1983年州政府の許可が出て今の墓地に移設されてきたのだそうです。地元の人たちにとってはなんとも言えない代物かもしれませんが、ひとつの歴史的な碑として「日本人墓地」には有ってもよいのかもしれません。
ちなみに山下奉文自身は、処刑後1959年に他のBC級戦犯とともに靖国神社に合祀されていて、お墓は都営多磨霊園にあるそうです。
2014年2月25日
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