建国記念日
今日は建国記念の日です。2年前にも同じタイトルでお話しをしましたので、今日は違う内容で・・・
建国記念の日が日本と同じ2月11日の国があります。
それはイランです。ただし、建国記念というのには無理があって、本当は「革命記念日」です。今の政治体制になった記念の日ということですね。
1921年にクーデターを起こして古い王朝を倒し、あたらしく皇帝になったレザー・シャーのもと、パフラヴィー朝が成立しました。彼は、1935年には国名「ペルシャ」を改め「イラン」とし、中央集権・近代国家成立に向けて色々な改革をしました。
そんなレザー・シャーも第2次大戦時に親ナチスドイツ政策をとったばかりにドイツ軍に進駐されそれがもとで失脚しました。
彼のあとは息子のモハンマドです。日本では「パーレビ国王」という名で知名度があります。彼の政権時代は第2次大戦後の米ソ冷戦時代という困難な時代で、国内外が不穏でした。そんな中、首相になったモサデクは今までの親米路線を転換し、親ソ政策に舵をきります。イランは地勢的にソ連の南側だったので、西側諸国にしてみればイランが親ソ政権になると非常に都合が悪いため、アメリカの工作?でモサデクは追放されモハンマドが親米政策をはじめます。それは「白色革命」と言われ(その意味は「上からの命令」ということです)、原油の利潤を背景に、農地改革・工業化・労働者の待遇改善・女性参政権・教育向上を目指しましたが、そもそも文盲率の高かったイランではそれがすぐには浸透せず、恩恵は一部の人々にしかもたらせず、かえって貧富の差が広がってしまいました。また、宗教上でも保守的なシーア派の人々は白色革命に不満が多く、対立が深刻化していました。シーア派の宗教学者ホメイニ師は革命自体を非難はしませんでしたが、皇帝の独裁的な性格を厳しく非難し、結果逮捕され国外に追放されてしまいました。このことでわかるように、国はイスラム教を弾圧してまで近代化を推し進めていたように思われます。
そんな中、ホメイニ師を中傷する記事がきっかけとなり、十二イマーム派の聖地ゴムで暴動がおこりました。そしてその暴動で亡くなった者を追悼する集まり(イランでは死後四十日後に死者を弔う儀式があります)、その集まりからまた暴動が起き、その後反政府デモなどが繰り返し行われるようになりました。皇帝は政府人事をかえるなど鎮静化をはかりましたがおさまらず、皇帝は国外退去しました。
結局ホメイニ師が帰国し国民の革命熱は過熱し、ついに1976年2月11日反体制側が政権を掌握しました。その後の国民投票でイスラム共和国が樹立されたのです。
この革命は、当時よくあった米ソどちらかの力を借りて樹立させた国という性格はなく、純粋に民衆が作り上げた国であったことがすごいことです。イスラムという米ソにつぐ第3世界の存在を見せつけることになりました。そして今なおこの体制が維持されているのです。
ゴムの暴動では亡くなった人の追悼に集まった人たちが、「人が集まる」という現象を力に変え政府を倒してしまいました。弔うという儀式も人の心の持ち方でどう変わるのか分からないということですね。できうることなら、こころ静かに弔ってあげたいものですね。
2014年2月11日
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