供養について7
前回の続きです。
前回は、日本で年忌法要が増えた理由は江戸時代のお寺の収入増のためだった、というお話をしました。
年忌法要を増やしたことについて、確かに一面では「供養はするべきもの」「先祖を敬いましょう」という意識を日本人に定着させたという功績があるとも言えますが、「お寺の収入増」のような話が広まると「江戸時代のお寺は悪かった」というイメージをもたれてしまうと思いますし、そのように思いの方もおられると思います。実際「葬式仏教」などと揶揄されているのをみると、現在では「仏教・お寺離れ」「先祖を敬う意識の欠如」が起こっていると感じられます。それもそのはず、本来とても大切なはずの「供養」を利用して収入をあげるなど、お坊さんとしてはあるまじき行為だったのではないかと思うのです。今起きている現象はお寺の自業自得だとも言えるのではないでしょうか。
しかし、だからといって「供養」が不必要な行為だと言えるでしょうか?年忌法要が江戸時代のお寺のたくらみによって汚されてしまったとしても、「供養」は人の心の中で自然と湧き上がってくるものであり、それを誰も止めることはできないはずです。現在は、樹木葬・散骨などさまざまな形態の葬儀が増えてきています。それも時代の傾向なのかもしれませんが、それを正当化するために「供養などは江戸時代のお寺による作為的なものだから・・」などと理屈付けて、きちんと供養をしないのは本末転倒です。本来、供養をしてあげたいと思う気持ちに素直に従えば、49日・百か日などの供養や、それに伴う埋葬などは自然とできてよいのではないでしょうか?
7回にもわたって「供養」についてお話をしましたが、一部メディアやインターネット上で、お寺の所業だけを糾弾し「弔いは不要だ」などという偏った話を目にすることが時折あるので、論じさせていただきました。一意見として読んでいただければと思います。
2013年3月19日
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