供養について
「供養」とは?
普段から何気なく聞く言葉ですが、供養とはどういうものなのか、私的な考えながら少し述べてみたいと思います。
(供養にはさまざまな解釈があるので、以下の話は他の解釈を否定するものでは全くありません。ひとつの解釈としてお読みください)
Wikipediaには、『供養(くよう)とは、サンスクリット語のプージャーまたはpūjanā(プージャナー)の訳で、仏、菩薩、諸天などに香・華・燈明・飲食などの供物を真心から捧げること』とあります。
仏教での本来の意味としてはその通りなのですが、そもそも仏教はインドでうまれあちこちの国・地方に長い年月をかけて伝播していったものなので、かたちや意味が少しずつ変わっていきます。日本の仏教は中国経由で伝わったので中国式の解釈が多分に含まれているため、供養の意味・かたちも本来のものとはだいぶ変わっていると言ってよいと思います。
日本でいう供養とは主に「追善供養」を指します。「追善供養」とは「亡くなった人がよりよい来世を迎えられるように、生きている者が「善い行ない」を亡くなった人にむけて「追って」送ってあげること」をいいます。ですので、供養の目的は「亡くなった人の来世がよりよいものになるため」に行なうのだと思います。
現在、追善供養といえば、初七日から始まって33回忌や50回忌(場合によっては100回忌)まで長きにわたり行なわれていきますが、ひとつひとつにいろいろな意味がありますので、これからいくつかをお話ししていきたいと思います。
その前に、目的である「来世がよりよいものになる」ことについてお話しします。
そもそも仏教には「輪廻(りんね)」という考え方があります。「生き物は生まれたとき前世からの生まれ変わりである。また、亡くなったら来世に生まれ変わる」という考え方です。また、その考え方の中には「前世に悪いことをしたらこの世でむくいを受け、この世で善いことをしたら来世でよいことが待っている」ということも含まれています。しかし実は、この「輪廻」は仏教誕生以前のインドで既にあった考え方であったのです。しかも、決してよい意味で捉えられてはいませんでした。「輪廻」は「悪循環」と捉えられていて、当時のインドでは、どうやって輪廻の悪循環から脱却するのかがテーマだったのです。そのテーマに対する答えとして考え出されたのが仏教の「解脱(げだつ)」だったのです。原始仏教ではなんとか解脱したい人々がお釈迦様に教えを乞うていたという側面もあったのです。
ところが、仏教が中国に伝わると捉えられ方が大きく変わりました。中国の在来思想「儒教」には「輪廻」という考え方がありませんでした。ですので「悪いことをした人がのうのうと生きている」「善いことをした人が不幸な死に方をした」という事例に儒教は答えを出せずじまいにいたのですが、この「輪廻」の考え方が伝わると人々は大変感銘をうけたのだそうです。それで中国で仏教は急速に浸透していったのだそうです。つまりインドとは異なり「輪廻を肯定的に捉えた」ということになります。
日本にはその思想がそのまま伝わりました。「輪廻」は日本でも受け入れられ、「輪廻を肯定的に捉える考え方」は日本にも浸透していきました。
お話は次回に続きます。
2013年2月5日
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