大樹寺6
こちらは8代広忠のお墓です。
【8代広忠1】
1526年に清康の長男として生まれました。前回にお話した通り父の清康は家臣に殺されましたが、そのとき広忠は10歳で家督を継ぐことになりました。松平家が危機に瀕している時、これに乗じて大叔父の信定という人物が岡崎城を占拠してしまいました。信定は5代長親の3男です。あの「暗愚」だと言われていた信忠の弟です。その当時も、信忠に不満を持っていた人たちからは「代わりに信定を」という声も出ていたくらいの人物です。ところで5代長親は隠居しておりましたがまだまだ家に影響力を持っておりました。本来なら信定に対して「家が乱れるからやめなさい」と諌めるべきだと思うのですが、なぜか長親はこの占拠を黙認していました。増長した信定は「国の決め事は信定が決める」とし、所領をどんどん横領していき、重要な家臣たちも味方にひきつけだしました。そして、ついには広忠を殺害する計画を立てました。
この危機に立ち上がったのが安部定吉です。彼は清康を殺めた原因でしたが、その罪を広忠に許されていたからでしょう、なんとか広忠を救うべく奔走します。清康の妹婿であった三河の吉良持広を頼り、吉良氏の所領のあった伊勢に広忠を逃がします。持広はその後亡くなりますが、すぐ駿河の今川義元を頼り今川家の兵を借りることに成功しました。その兵や清康の弟たちの援助も受けて、1537年に広忠の岡崎城への復帰が叶いました。
2017年7月7日
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