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大樹寺4


右手前から、5代長親・6代信忠・7代清康のお墓です

【4代親忠・5代長親】
(4代親忠のお墓の写真はありません)
親忠は3代信光の三男として1431年に生まれました。父信光の死によって1488年に家督を継ぎ、安祥城を拠点としました。安祥松平家の初代となります。しかし、このあとほどなく出家をしたそうでこれといった治績はないようです。(ただし後に兵を率いて戦いに勝利しています)。こういうことから、家督を継いだことについて疑問視する声もあるようです。「三河物語」では「信光は長男に家督を譲った(親忠は三男。また長男の名前は記されていない)」とあり、また家督を継いですぐ出家というのも不自然でもあるからです。一説には、この安祥松平家から家康など松平の代表的な人物が輩出されたことから、後世にて親忠を「松平4代目・安祥松平初代」にしたのではないかとも言われています。

長親は親忠の三男で、1473年に生まれました。1496年父の隠居に伴い23歳で家督を継ぎました。家督を継いですぐ、隣国の駿河から今川氏真の命を受けた伊勢盛時(のちの北条早雲)の1万余りの軍勢に抗い、これを追い払ったという話があります。武将としては優秀だったようです。安祥松平家2代目で松平家の基礎をつくった人だと言われています。

2017年6月30日

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